いじめゼロを目指して

精神分析とは?

「精神分析」というと、なにやら小難しいようなイメージを抱く方も多いことでしょう。
…と同時に、
「自分の心はどうなんだろう」「自分について分析して欲しい」
といった強い好奇心をくすぐられる分野でもありますよね。

 

精神分析とは、
「人の行動の元には無意識的な何かが潜んでいる」
という仮定に基づき、
その「何か」を探っていくという学問のこと。

 

例えば、寝坊したり、失言したり、物を壊したり…といった出来事も、
「たまたまそうなった」のではなく、そこには必ず何か理由があると考えるのです。
(本人が意識していなくても、無意識のレベルでは必ず理由がある)
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「人は意識することが苦痛であるような欲望を無意識に抑圧することがある」

「抑圧されたものが形を変え、心の病となって表出される」

「抑圧された内容を表面化させて、
 それを本人が意識できるようになれば症状が解消する」

 

 

つまり、分析を通じてその「何か」を解明し、
心の悩みや問題を解決していく…という学問なんですね。

 

精神分析はオーストリアの精神科医であるS.フロイトによって創始された学問で、
現在もなお、様々な学問や人文学思想に影響を与え続けています。

 

いじめ問題についても、
精神分析の考え方が参考になる部分は非常に多いと言えるでしょう。
なぜなら、自分で意識していない「何か」が原因となっていじめ行為を行っている
…という可能性も多分に考えられるからです。

 

その「何か」を解決できれば、いじめ行為をやめさせられるかもしれません。

親との関係を重視する学問

精神分析は、親との関係を重要視する学問です。

 

例えば、赤ちゃんの時に十分におっぱいをもらえなかった子供は
性的欲求(リビドー)を満たされておらず、
その先の心の発達に問題が生じる可能性があります。
(人生で壁にぶつかった時、過食嘔吐などで心を満たそうとする…等)

 

いじめ問題の根底にも、
親の問題が潜んでいるケースは非常に多く見受けられます。

 

例えば、「男根期」と呼ばれる3歳〜6歳の時期に
“父親”(または“母親”)という存在をうまく受け入れられずに育った場合。
後になってその問題が表面化し、
屈折した攻撃性という形で表れてきたり心の病を発症したり…と、
今まで抑圧されていた問題が明るみになることがあります。

 

これは、いじめる側だけではなく、いじめられる被害者側にも言えること。
いじめに遭っている事実を親に相談できないという場合は、
そこにも何らかの「親子関係の問題」が生じていると考えて良いでしょう。

 

いじめで痛ましい事件が発生すると、
とかく加害者側の親ばかりが責められがちですが、
精神分析の観点から見ると、被害者の親にも責任はあります。

 

子供の攻撃性をコントロールできない親はもちろん問題アリですが、
子供が親にSOSサインを出せないということも、大きな問題。
どちらの親も、自分たちが胡坐をかいていた「親子関係」を改めて見つめ直し、
反省すべきところは自覚するべきでしょう。

どうすればいじめと無縁の生活を送れるのか

精神分析的な観点から考えると、
いじめと親子関係は切っても切り離せない関係にあります。

 

では、どうすればいじめと無縁
(つまり、加害者にも被害者にもならない)の子供に育てられるのでしょう?

 

一つの方法として考えられるのは、
子育ての際に「自我」を大切にするということです。
フロイトの精神分析学で言うところの「自我」とは、「自分自身」のこと。
日本語で言えば、「私」「自分」。英語なら「I」です。

 

自我は、心の奥底にあって欲求を満たすことしか考えていない
「エス」を操れる存在。
本能のまま、快楽を求めて行動しようとするエスに、
「NO」を突き付けられる存在なのです。

 

この自我がしっかり育っていれば、
自分の言いたいことはしっかり相手に伝えられますし、
自分の精神的快楽のために他人をいじめたりもしないでしょう。
つまり、被害者にも加害者にもならない子供になる可能性が高いのです。

 

日本は、諸外国に比べると「自我」を抑えて生きることを教え込まれがち。
「和を持って尊し」とされる文化を大切にする社会に生きているため、
自分が意見を主張することで
周りの“和”を壊してしまうのではないかと恐れているのです。

 

しかし、そんなことではこれからの時代は生き抜いていけません!
自分を大切にすることができない人間は、
他人を大切にすることもできませんよ。

 

 

参考: 
月刊 精神分析 2010年4月号
『図解雑学 精神分析』 富田三樹生 監修 小谷野博 著 (ナツメ社)

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