いじめゼロを目指して

「個性が大切」のワナ

政府がいじめ対策に本格的に乗り出そうが、
教育委員会の体制を強化しようが、
学校の教員を増やそうが。
いじめは決してなくならない。
これは、過去の例を見ても明らかなことです。

 

では、なぜ、いじめはなくならないのでしょうか?
なぜ、悲しい事件を何度も何度も繰り返してしまうのでしょうか。

 

その原因の一つは、「個性」ではないかと筆者は思います。
社会でも、教育現場でも、「個を重視しよう」とよく言いますが、
実際は個性が強すぎる人は組織からはじき出されますよね。

 

「みんな平等」「弱者をなくそう」
…その目線は、見方を変えれば、
個性を排除することにつながりかねないのでは?

 

かつて、いじめのターゲットにされやすい人といえば、
勉強ができなかったり、身体が小さかったり、大人しかったり…と、
何かしら弱点を持っている子が多かったのに対して、
最近は、
「人より勉強ができる」
「人よりスポーツができる」
「人より才能があって目立っている」
…そういう理由でいじめられたりこともありますよね。
いじめのターゲットが、より個性の強い人に移り変わっている。
そんな印象も否めません。

 

横並びを重視し過ぎたために、今度は差異がなくなりすぎて、
ちょっとでも個性が引き立っている人がターゲットにされやすい。

 

そんな傾向があるように感じます。

みんな“違うモノ”になってしまえば良い!

個性を重視する世の中でありながら、
その個性が原因でいじめの標的にされてしまう。
…私たちの時代は、そんなジレンマを抱えているのではないでしょうか。

 

最も簡単な解決法は、横並び教育を止めて、
あえてどんどん「差異=違い」を作り出してしまえば良いんです。

 

「順序がつくのはかわいそうだから、運動会での徒競走はやめよう」

 

…最近は、そんな学校も多いようですが、
一等賞が偉くて、ビリがダメだなんて、誰が決めたんですか?
足が速い人にしか見えない世界もあれば、
みんなの背中を追って走る“ビリけつ”にしか分からない世界だってあるんです。
あえて、それをなくそうとするから、歪みが生ずるのではないでしょうか。

 

あって当然の違いを、“なかったこと”にする教育。
そこに、いじめ問題の一因があるような気がしてなりません。
人間には、差があって当たり前。
それを見ないようにしよう、ないことにしよう。

 

…そうやって間違った方向に努力することが、
かえって子供の心を歪ませてしまうのです。
だからいじめはなくならないのです。

 

事実から、現実から目をそらさないで立ち向かうことを教えるのが
大人たちの役目なのではないでしょうか。
その子にしかない個性を見出すためには、
向き合いたくない現実と向き合って
認めたくない自分の弱点を受け入れることだって必要です。

 

いじめ問題を根本から解決するためには、
現実をねじまげてごまかすだけの教育から
脱却しなければならないのではないでしょうか。

「いじめはなくならない」を前提にしよう

「いじめをなくそう!」
…そんな目標を掲げて、国も自治体も学校も躍起になっていますよね。

 

しかし、そもそもいじめってなくせるんでしょうか?
なくせると思っているから、色々な取り組みをしているわけですよね。
それとも、なくせるとは思っていないけど、何もしないわけにもいかないから…
そんな理由で、一種の“パフォーマンス”として目標を設定しているのでしょうか。

 

そもそも、いじめはなくならないもの。
日本全国、全ての学校からいじめをなくすなんて、どう考えても不可能です。

 

だって、人間はそういう生き物だから。
どんなに“良い子”でも、いじめ加害者になる可能性はあります。

 

「他人の不幸は蜜の味」という言葉がある通り、
人の不幸や痛みを本当に自分のことのように感じられるなんて、
ほぼあり得ません。
それが家族ではなく赤の他人なら、なおさらです。
誰だって、自分が一番かわいいに決まっているのですから。

 

国も学校も、いいかげん、「いじめはなくならない」という前提を認めるべきです。
その現実を受け入れるべきです。

 

その上で、いじめを「なくす」努力、「ゼロにする努力」ではなく、
いじめに対して素早く対処できる、
システマチックな方法を構築する努力をすべきでしょう。

 

「いじめはなくらない。いじめは、ある確率で必ず発生する」

 

という前提で、そのリスクをマネジメントする方向に方針を修正すべきです。
いわゆる「リスク・マネジメント」とは、例えばいじめ問題が起こった時、
その損害を最小の費用で・最短の時間で効果的に処理するための経営管理手法。
発生しうるいじめのレベルや発生確率を事前に分析し、
その発生確率を低めるための改善活動を行うわけです。

 

企業では、常に「労災はいつでも起こり得るもの」という前提で
このリスク・マネジメントを徹底しています。
教育現場でも、いい加減、この考え方を学ぶべきです。

 

そもそも、いまさら、形だけの「いじめ認知件数」の調査なんて実施することに
何の意味があるのでしょうか?
これからは、「いじめの対応件数」やその「改善策」の内容で
学校側や教員を評価すべき時代です。

 

いじめがなくなることはなくても、被害者が命を絶つような最悪の事態を避ける!
これが、これからのいじめ対策に求められる“発想の転換”なのではないでしょうか。

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