いじめゼロを目指して

いじめの原因は想像力の欠如?

いじめは、一方的に他人の心身を傷つける行為。
“一方的に”と表現される理由は、そこに、
「自分の行為によって相手がどう感じているのか」、
それを考える想像力が欠如しているからです。

 

もし、相手の痛みや苦しみを想像する力があれば、自分も同じように痛いハズ。
あえて相手を傷つけたりはしないでしょう。
(行為障害などの精神障害の疑いがあるケースは除く)

 

…とはいえ、相手の心を想像しろと言われても、最初はなかなか難しいでしょう。

 

自分の心の衝動に逆らえず、他人にいじめ行為をしてしまうという人は、
一度、“他人の目に映る自分”を想像してみると良いでしょう。
自分という人間を客観的に観察してみるのです。

 

家では親に逆らえずに悶々とし、そのフラストレーションを学校で晴らしている自分。
自分よりも気が弱そうな相手を選んで嫌がらせをしている自分。
自分よりも勉強ができる人を羨む自分。
他人に対する嫉妬だらけの自分。
人を羨むばかりで、前向きな努力をしない自分。
心の中は、「自分なんて…」という不安でいっぱいの自分…。

 

…客観的に見ると、
「自分ってなんて小っちゃい人間なんだろう!」
と恥ずかしくなりませんか?
私たちは、その小さくて醜い人間を、他の人の目にさらして生きているんです。

 

人生なんて、恥ずかしいことの繰り返しですよ。
そう思うと、他人をいじめて優越感に浸っている自分が
ひどく惨めに思えてきませんか?

壁に耳あり、障子に目あり

「他人の目に映る自分を想像してみる」ということにもつながってきますが、
人は、他人のことをよく見ているようでいて見ていない。
逆に、「誰も見ていないだろう」と思っていると、誰かがよく見ていたりするものです(苦笑)

 

「壁に耳あり、障子に目あり」とはよく言ったもので、
聞かれたくないことは誰かが聞き耳を立てているものですし、
見られたくない現場は、必ず誰かが見ているものです。

 

あなたが●●さんをいじめていることも、
「誰も知らない」なんてことは絶対にあり得ません。
親や先生には気づかれていなくても、誰か見ている人が必ずいます。

 

あなたのいじめ行為を見て、密かに楽しんでいるのかもしれませんし、
通報するタイミングを窺っているのかもしれません。

 

しかし、息をひそめるようにして事の成り行きを見ている人がいるのは
間違いないでしょう。
その人の目に映る醜い自分を想像してみると…

 

…それでもあなたは、まだいじめを続けますか?

 

所詮、“いじめ”は自己満足

いじめの多くは、加害者側の自己満足のために行われます。

 

誰かをいじめてスッキリしたい。
心のもやもやを晴らしたい。
不安やストレスを発散したい。
「強い自分」を確認したい。
自分の存在意義を確認したい。
優越感に浸りたい。
誰かと一体感を感じたい。

 

…全て、自分、自分、自分。自分が気持ちよくなるための行為です。
そこには、相手を思いやる気持ちや、相手の痛みを想像する余裕などありはしません。
言い換えれば、いじめ行為とは、
心に余裕がない人にとっての唯一の“逃げ場”なのです。

 

自分を満足させる手段が、“他人をいじめること”だなんて…
考えてみれば、みじめですよね。

 

そうせざるを得ないほど心に余裕がない状態というのは、かなりマズイです。
その“余裕のなさ”は、見る人が見るとすぐに見破られてしまいますよ。

 

心に余裕がなくて相手の気持ちや状況を想像できないのであれば、逆に、
立ち止まって相手の気持ちを想像するトレーニングを行いましょう。

 

想像するという作業は、
その人にとっての“現実の時間”の長さを面白いほど変えてくれるもの。
やがて心にも余裕が生まれ、
今度は人づき合いも人生ももっと楽しめるようになるハズです。

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