いじめゼロを目指して

加害者の家庭の問題

いじめ加害者は、なぜ、他人をいじめてしまうのでしょう?
なぜ、他人を傷つけずにはいられないのでしょうか?

 

それは、加害者自身が傷ついているからです。
いじめ加害者にも様々なタイプがいますが、多くの場合、
いじめの背景には加害者側の問題が潜んでいるのです。

 

主には、環境的な要因が密接に絡んでいるケースが多いですね。
家族の不仲、虐待、過保護、家族の不在、兄弟の病気…etc、
家庭環境自体が子供のフラストレーションを蓄積させる構造になっていることが
いじめ行為の原因の一つと考えられます。
家で溜め込んだフラストレーションを、外で発散しているんですね。

 

イライラ、怒り、不安…といった感情を自分でコントロールすることができず、
それを他の児童(生徒)に向けてしまうというわけです。

 

目標や充実感がなく自分に自信が持てず、
「相手をいじめることでそんな自分を肯定したい」
「誰かをいじめることで自分の存在意義を示したい」
「みんなで誰かをいじめることで一体感を得たい」
…そんな理由で、いじめ行為を自己正当化しているケースも多いよう。

 

なぜ被害者をターゲットに選んだのかを本人も自覚していないケースも多いようです。

 

「相手は誰でも良かった」「なんとなくむかついたから」
…と答える加害者がほとんどですが、実際のところは、
自分よりも幸せそうに見える子、自分よりも優れている(ように見える)子に対する
嫉妬や妬みが起爆剤になっていることも多いようです。

 

一方で、おどおどした人を見ると、
家庭内で居場所がなく脅えている自分自身の弱い姿を重ね合わせてしまい、
ついついいじめてしまうというケースもあります。

 

いずれにしても、いじめ行為の“なぜ?”には
加害者の心理状態が密接に関わっていることは間違いありません。

相手の気持ちが分からない

悪気があるわけではないものの、“いじめ”という関わり方でしか
友達と関わり合うことができない子供たちもいます。

 

なぜかというと、共感性やコミュニケーション能力の発達が遅れているため。
相手が嫌がっていることが分からないので、
必要以上に強く叩いてしまったり、わざと意地悪なことを言ってしまったりするのです。

 

被害者が嫌がることを分かっているネタで何度もからかってきたり、はやし立てたり、
身体上の特徴を馬鹿にしたり、追いかけまわしたり…。

 

被害者は「なぜ自分ばかりこんな目に遭うんだろう」と思い悩みますが、
この手のいじめは、加害者には全く罪の意識がない場合が多いです。

 

しかし、罪の意識がなくても、
「人との適度な距離感の取り方が分からない」
ということ自体がある意味では大きな罪。
被害者が嫌がることをしているという意味では立派な“いじめ”です。

いじめの背景にある人間の本性

どんなきれいごとを並べて見ても、誰でも、自分自身が一番大切。
人間が持っているこの性質は、特にいじめの現場で如実に表れます。

 

いじめ行為を行った生徒が「なぜこんなことをしたのか」と問われると、
「いじめに加担しないと今度は自分がターゲットになると思ったから」
「弱い者の味方をすると自分がいじめられるから」
…と答えるケースが多いんです。

 

非常に残酷なようですが、これは、動物の世界においては仕方がないこと。
「食うか・食われるか」のギリギリのラインで生きている動物たちにとっては、
自分の命を守って子孫を残すことが最優先なのです。
自分を守るために友達をいじめたと証言する子供たちを、
先生たちも頭ごなしに責めることなどできないでしょう。

 

今はいじめの被害者であるあなたも、
やがては自分を守るために加害者側に回る時がくるかもしれない。
このような負の連鎖の中では、誰もが加害者にも被害者にもなり得るわけです。

 

なぜいじめが起きるのか?

 

…その問いに対して「人間の性だから」と答えざるを得ないのは、
非常に残念なことですが、そうした性質も含めて“人間”なのです。

 

事実、過去の歴史を振り返ってみても、“いじめ”は、形こそ違えども
常に私たちの社会にはびこっていたことが分かります。

 

人の妬みや嫉妬。

 

この性質は、いじめ加害者のみならず、被害者の内面にもあるもの。
他人に向いてしまう負の感情を、自分の中でいかに昇華させるかを学んでいくことが
私たち人間に課せられた課題なのかもしれません。

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