いじめゼロを目指して

「いじめだという認識はなかった」

いじめ経験者の多くが語る言葉に、
「いじめていたつもりはなかった」「単なる遊びだった」「ふざけていただけだった」
…という声があります。

 

しかし、被害者側の認識は「いじめられている」というものであることがほとんど。
加害者の思いもよらないような心理的ショックを受けて、
何年経ってもその傷が癒えずに通院を続けている人もいます。

 

いじめ経験者の中には、自分の行為は“いじめ”だと気づいていながら
面白がってその行為を続けているという悪質な確信犯も多いのですが、
もっと多いのは、本当にいじめの認識がなかったというタイプ。

 

「自分ではちょっとしたからかいのつもりで、仲の良い友達だから許されると思っていた。
でも、相手が突然泣きながらキレたことがあり、それで、
自分がしていたことで相手が傷ついていたことに気付いた」

 

…と語るいじめ経験者もいます。

 

こうした苦い経験を経て、人は人を思いやれるように成長していくわけですが、
被害を受けた側の傷はそう簡単に消せるものではありません。

 

やはり、学校側としては、学年が若いうちから継続的に
いじめ防止教育に積極的に取り組んでいくべきでしょう。

「集団いじめの一体感にハマった」

いじめの経験について語る際、多くの経験者は
「今思えば、最低だった」「今になって振り返ると、ヒドイことをしていたと思う」
…という“振り返り発言”をすることがあります。

 

その時には相手の痛みが分からなかった。でも、長い時間を経て自分も大人になり、
当時の相手の心を思うと胸が苦しくなる…と。

 

確かに、時間は人の心を大きく成長させます。
しかし、被害者側からしてみれば、「何をいまさら」という感じでしょうね(苦笑)
どんなに反省してみても、心の中で償ってみても、
一度ついた傷は簡単には消えません。

 

集団いじめの体験者の中には、

 

「大勢で誰かをいじめていると、
同じ目標に向かって頑張っているような一体感があった。
部活を引退した後だったので、その一体感にハマった」

 

…と証言している人もいます。

 

自分の心の穴を、他人をいじめることで埋める。
客観的に考えれば最低な行為ですが、いじめている本人たちは、その時はまだ
そうした自分の心の寂しさにも気付いていないことがほとんどです。

 

「自分がターゲットになるのではないかと思うと怖かった」

「自分がターゲットになるのではないかと思うと怖かった」
いじめ体験者の証言で最も多いのは、このパターンでしょう。
筆者にも経験があるので、この気持ちは非常によく分かります。

 

クラス単位でのいじめが発生している時、
ターゲットをかばえば次は自分がターゲットにされる。
…この緊張感は、会社で営業成績について絞られる時よりも辛いですよ(苦笑)

 

誰だって、自分が一番かわいいものです。
人をかばってまで自分がいじめられるなんて、そんな自虐的な…。
…そう思っていた時期もありました。

 

こうしたいじめ体験の背後には、どこか、
「いじめられるほうにも問題がある」
という心理が潜んでいるような気がします。
被害者も悪いんだ。だから、私もみんなも悪くないんだ。
そう思うことで、必死に自分自身を正当化していたような…。

 

今になって考えれば、とんでもない自己防衛ですが、
若い頃は自分を守ることで精いっぱいなんですよね。
私のようないじめ体験を持つ方は多いのではないかと思います。

 

いじめによって被害者側が一生心に傷を負うのはもちろんですが、
いじめ体験者もまた、長い間後悔の念に苛まれることになります。
筆者なんて、その時の被害者の顔を見るのが怖くて
同窓会にも出席できないくらいです。
一時期は仲が良かったにも関わらず、その子がいじめられているのを
見て見ぬフリをしていた自分が恥ずかしくて、とても顔を合わせられません…。

 

気持ちよく老後を迎えるためにも、今、いじめ加害者であるという自覚がある方は
自分の行動が将来にどんな影響を及ぼすのかじっくり考えてみてください。

 

参考:
読売新聞 『いじめと向き合う1』 2012年10月18日朝刊

 

 

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