いじめゼロを目指して

「いじめているつもりはなかった」は本当なの?

いじめについて追及された加害者生徒が、
「自分ではいじめているつもりはなかった」
…と主張するケースがよくあります。

 

しかし、被害者側は「いじめられている」という受け止め方をしている…。

 

実は、被害者と加害者の間に生じる、この“受け止め方のズレ”こそが
いじめがなかなかなくならない原因の一つでもあるのです。

 

「いじめているつもりはなかった」と主張する生徒の中には、
自分の行為がいじめに該当すると知りながら行為を続けている確信犯もいます。

 

一方で、圧倒的に多いのは、“いじめ”と“遊び”の区別がついていないケース。
加害者本人にしてみれば、ちょっとからかった程度、スキンシップ程度の行為が、
相手にとっては「しつこい嫌がらせ」「不快な暴力」と受け止められてしまうのです。

 

こうしたケースでは、学校でのいじめ教育の授業を受けて初めて、
「ああ、自分がやっていたことはいじめだったんだな」と気付くことが多いようです。

 

やはり、学校側としては今後も積極的に教育に取り組んでいくべきでしょう。

 

いじめ被害者の後遺症

加害者側は「いじめたつもりはない」という受け止め方をしていても、
やられたほうは重い後遺症に苦しめられることがあります。

 

PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)はその代表的な例。
いじめられたことをきっかけに、
「自分はみんなに嫌われている」「悪口を言われている」
…といったネガティブな思い込みに捉われ、
対人関係に異常なまでの恐怖感を抱いてしまいます。

 

また、誰の怒鳴り声や大きな物音を聞いただけで、
いじめに遭った時のことを思い出して気分が悪くなってしまったりします。

 

ヒドイ場合では、人生そのものに否定的になってしまったり、
自尊心を傷つけられて自分自身を肯定的に認められなくなってしまったりします。

 

同じ行為でも、“される側”と“する側”とでは受け止め方がここまで違うということ。

 

日頃から、
「今の言葉を相手はどう受け止めたのかな」「どう思っているのかな」
…と、相手の気持ちを想像することが大切です。

被害者→加害者への転向

いじめの受け止め方次第で、その後の人生が大きく変わってしまうこともある。
…そう断言しても良いでしょう。

 

「ただの遊び」という受け止め方をしていれば、なんら気に留めることなく
良心の呵責にさいなまれることもなければ心に傷を負うこともありません。

 

しかし、PTSDを発症するほどのショックを受けてしまった場合は、
その後の人間関係の築き方や人生設計にも多大な影響を被ります。

 

人によっては、いじめられる恐怖から、今度は加害者側にまわる場合もあります。
「いじめられるほうにも問題がある」などと言われたことがトラウマとなり、
「もう同じような目には遭いたくない」と自分を守ろうとするようになるのです。

 

いじめられる辛さを一番よく分かっているのに、他人に同じ思いをさせてしまう。
…これも、本人にとっては非常につらいものですよね。

 

極端な言い方をすれば、被害者側には一生、こうした複雑な感情がついてまわります。
そして、新しい人間関係を築く度に、
いじめられるのではないかという恐怖におびえるのです。

 

いま、誰かをいじめているかもしれない人は、ぜひ、
「相手はどんな受け止め方をしているのか」をじっくり考えてみてください。
あなたは、相手の人生に責任を持てますか?

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