いじめゼロを目指して

“戦い”とは、敵をだますことである

『孫子』によれば、戦いの本質は終始、
敵をだますことにあると言っても過言ではありません。

 

強い人は弱いフリをし、策があってもないフリをする。

 

敵が近くに入る時は遠くにいるフリを、遠くにいる時は近くにいるフリをする。

 

敵が利益を求めている場合には誘い出し、
混乱している時はこれを狙って敵陣を襲う。

 

敵が怒っていればさらに心を乱し、こちらを舐めているようなら、
さらに油断させる。

 

敵が休もうとしていれば、不意をついて疲れさせる。

 

敵が団結している時は、仲たがいを起こさせる。

 

…このように、敵を勘違いさせて油断させるような“トリック”の重要性が、
『孫子』 の中では繰り返し説かれています。

 

一つ一つ見てみると、いじめ対策にもつかえそうなトリックもありますよね。

 

いじめの場合、加害者はターゲットを「自分よりも弱い者」
…と見くびっているわけですから、大いに油断させて
相手の虚(スキ)を突けば良いわけです。

 

自然界に学ぶ、生きるための“トリック”

実は、『孫子』に記されているような“戦うためのトリック”は、
自然界ではごく当たり前に使われているテクニックばかり。

 

例えば、一部の昆虫たちは“保護色”というトリックを用いて、
外敵の目をくらませて身を守ったり、獲物を捕食したりしています。
擬態して植物の一部になりすますことで敵の目を欺いている動物もいますよね。
アンコウのように、特殊な触手によって獲物をおびき寄せる動物もいます。

 

自然界を強く生き抜く生物たちはみな、
生きるために巧妙なトリックを駆使しているわけです。

 

そういう意味では、人間がトリックを使って自分を守ろうとすることは
なんら不可思議なことではありませんよね。

 

だますか・だまされるか。
これが、生きるか・死ぬかの問題にも関わってくるわけですから、
巧妙なトリックを使えるか使えないかは重要なポイントです。

 

いじめをきっかけに命を落とすケースも少なくない昨今、
他人を欺くトリックを身につけておくことは護身術の一つと考えても
あながち間違いではないでしょう。

道徳と戦略は必ずしも一致しない

私たち人間は幼い頃から、
「人をだますのは悪いことだ」
…と教えられてきました。
ですから、トリックで人を欺くことに対しても、
罪悪感や嫌悪感を抱く方も少なくないことでしょう。

 

しかし、時として子供の頃から教え込まれてきたような“道徳観”が足かせとなり、
自分の身を守ることができなくなってしまうこともあり得ます。

 

自分のことだけではなくなく周りのことも考えよう。
人に対する思いやりを忘れてはいけない。
自分中心で物事を考えるのは良くない。

 

…このような道徳観を優先させて自分自身を犠牲にした結果、
いじめのターゲットになって「死」を意識するほどの状況に追い込まれたり、
実際に自ら命を断つことになってしまったり…。

 

確かに、人として失ってはいけない道徳観はありますが、
生きるためには他人を欺くトリックを優先させるべき時もあります。

 

当たり前のように教え込まれた道徳と、
今の自分自身を守るためのトリック(戦略)は必ずしも一致しないこと。
ある時には、相反するものにもなり得るということは、
生きていく上で認めざるを得ない現実なのではないでしょうか。

 

いつでも100%「いい人」「正しい人」でいるだけでは、
自分を守れないこともあるのです。

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