いじめゼロを目指して

少子化社会のメリット・デメリット

少子化社会で核家族が増えた結果、過保護に育てられる子供が増えた。
…コレ、よく目にする論調ですよね。

 

確かに、それも一理あるとは思いますが、
全面的にそうだとは言い切れないのではないかと筆者は考えます。

 

なぜなら、筆者は一人っ子の鍵っ子(笑)。バリバリの核家族ッ子だからです。
確かに、兄弟がいない分、おもちゃもお菓子も洋服も、
揚句の果てには親の期待も自分一人に集中していたことは間違いありません。
兄弟喧嘩をしたことがないので、正直、人と喧嘩をするのも苦手です。

 

しかし、必ずしもデメリットばかりではありませんよ。
大人たちに囲まれて育ったことで、人の顔色を窺うことは大得意!
これは、社会に出て上司との関係を築く際に非常に役立ちました。

 

それに、一人っ子は、身近に相談できる兄弟がいませんから、
些細なことも自分で決めて行動できるというメリットがあります。
「誰かと一緒じゃないと決められない」という同級生が多い中、
私はなんでも一人で平気だったので、その分、色んな経験ができたと思います。

 

…確かに、こういう“一匹オオカミ”体質はいじめの対象になりやすいことは事実です。
私も、無視されたり仲間外れにされたりしたことは何度もありました。
しかし、元来、一人に慣れているので、いじめられてもさほど凹みません(笑)。
平気な顔をしているので、いじめた側も
そのうちばかばかしくなって対象を変えるんですよね。

 

自分のこういった体験から考えると、「少子化社会=いじめを助長する」
という考え方はちょっと一方的な気がします。

 

勝ち負けにこだわることは悪いことか?

「勝つか負けるか」という競争社会が、
「いじめる側といじめられる側」を作りだした。

…このような説も、よく見かけますね。

 

しかし、本当にそうでしょうか?

 

そもそも、私たちは、元々は攻撃性という本能を備えた動物です。
勝つか負けるかが気になるのは当然のことですし、
それを無理やり封じ込めた教育の在り方は、ちょっと違うのではないでしょうか?

 

問題は、「勝った=強者」「負けた=弱者」という考え方が強過ぎることです。
たとえ負けたとしても、正々堂々と戦ったのであれば、その人は弱者ではない。
力の差はあるにしても、「負けたから弱い、負けたらダメなんだ…」
…と卑屈になる必要はないのです。

 

競争社会がいじめの原因と言われるのは、社会全体の思考パターンが
「強者」「弱者」という二分割思考に捉われ過ぎだからなのではないでしょうか。

 

負けても、その人が弱いわけではない。
勝ったからといって、相手よりも自分が人として上位に立っているわけではない。

 

「勝ち組」だからといって、その人が立派なわけではない。
「負け組」だかといって、人としての価値が劣るわけではない。

 

この真理が隠されて、「勝つか負けるか」「強いか弱いか」ばかりを強調するからこそ、
子供たちにも「弱い者はいじめても良い」といった
極端な思考パターンが身についてしまうのではないでしょうか?

 

情報社会の光と影

現代社会で、明らかにいじめに暗い影を落としている要因といえば、
少子化でも競争でもなく、“反乱する情報”や“便利なネット環境”でしょう。
大人が使って便利で楽しいわけですから、
それを見ている子供が手を伸ばしたくなるのは当然のことです。

 

言うまでもありませんが、情報社会になって私たちの生活は格段に便利になりました。
今までなら一生繋がる機会のなかった人と瞬時でコミュニケーションできたり、
自分一人では一生かかっても入手できなかった膨大な量の情報を手にできたり…。

 

しかし、情報社会の光に目をくらませる一方で、
影の部分から目を背けるわけにはいかない事件も次々と起こっています。

 

それは、子供たちのいじめの世界にも暗い影を落としています。
例えば、クラスの掲示板に匿名で悪口を書き込んだり、
ありもしないでたらめな噂を流したり
クラスメイトのプロフィールサイトを勝手に改ざんしたり、
他の子供になりすましていたずらメールを送ったり…。

 

有効に使えば便利な情報交換の場として使える掲示板も、
残酷ないじめの舞台と化してしまうことも少なくないのです。

 

こうした社会的なマイナス要因がいじめにつながることがないよう、
教師や親たち自身が、“情報社会との正しいつきあいかた”
見本を見せていくべきでしょう。

 

2chやツイッターの悪口合戦を見て笑っている場合ではないのです!

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