いじめゼロを目指して

「集団主義」思想はどこで育まれたのか?

突然ですが、筆者は集団行動が苦手です。
小学・中学・高校と、
「なんでみんなと同じ服を着ないといけないの?」
「なんでお腹すいてないのにみんな同じ時間にご飯食べないといけないの?」
「なんでぞろぞろと集団で歩いたり走ったりしないといけないの?」
…と、学校で強要される全てのことに対して不満がありました(笑)。

 

幼心に、「きっと、集団で行動すると安心感があるんだな」
「それが集団心理ってやつかな」…と思っていました。

 

社会人になれば、きっとこの集団心理からも解放される!
…そんな期待感を持って就職しましたが、現実はさらに絶望的なものでした。
会社という組織もまた、がちがちの集団心理に支配された場所だったのです。

 

さすがに、終身雇用制度が崩壊した最近では、会社の価値観も様々で、
古い時代のような「THE 集団!」という会社は少なくなってきているようです。

 

しかし、私の就職先は古い体質の集団でしたので、
「新人はこうあるべき」「新人のくせに意見を言うなんて生意気!」
「社長が白と言ったら、たとえそれが黒でも白というべき」
…といった「こうあるべき」思想が根強く残る会社だったのです。

 

こうした集団心理は、おそらく、私たちが知らず知らずのうちに
教育現場で刷り込まれてきたものなのでしょう。
「和を持って尊し」とする日本では、
教育の現場でも集団行動を特に重要視してきましたから。

 

しかし、そこで養われる集団心理が、
残酷ないじめの原因になっていることもまた事実です。

集団心理がいじめにつながる時

「自分たちと異なるものを排除しよう」という集団心理。
これこそが、いじめの原因と言っても過言ではないでしょう。

 

それは、見た目の特徴かもしれませんし、考え方や言動の傾向かもしれません。
とにかく、自分たちと明らかに違った要素を持っている人間に対して、
「仲間からハジこう」
「自分たちと同じように矯正しよう」
…という心理が働くわけです。

 

おそらく、「自分と違うもの」「未知なるもの」は、
私たちにとって“脅威”なんでしょうね。

 

結果として、ある特定の子供が複数人からのいじめのターゲットにされてしまいます。

 

一対一では非力でも、仲間が一人増えることでその力は何倍にも膨れ上がり…。
バラバラだった力が、一つの力として一点に集中することほど怖いものはありません。
集団によるいじめは、まさにそのような構図で起きるものです。

集団主義の崩壊?

集団心理の力が一点に集中して働いている時、
その集団の中の一人で力の方向性を変えたとしても、
集団としての総合力はほとんど変わりません。

 

それほど、一人の力は非力で、集団の力は恐ろしいパワーを持っているのです。
だからこそ、集団によるいじめは対応が難しいですし、
容易には解決しないというわけです。

 

しかし、「集団の中にいれば安心」という時代はすでに終わっています。
どんな大企業に属していても、その会社が倒産しないという保証はありませんし、
集団心理に従って堅実に働いていても、容赦なくリストラされてしまいます。

 

子供たちの世界でも同様で、
忠実に集団行動を続け、集団心理に従って堅実に進学しても、
就職口が見つからずに結局は路頭に迷っている若者のなんと多いこと!

 

これからは、“個人”で勝負する時代。
集団で誰かを標的にするなんて、そんなのは古い人間がすることです。

 

これからは、個人を主張できる時代。
集団心理を恐れずに、個人で勝負できる人が活躍できる時代なのです。

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