いじめゼロを目指して

傍観者にも色んなタイプがある

“いじめ”という一つのドラマには、主役もいれば脇役もいます。
いじめの主犯格でもなければ、被害者でもない。
その“脇役”に相当するのが、「ただ見ているだけ」の傍観者です。

 

よく、「“見ているだけ”っていうのもいじめの加害者と同じだよ」
…と指摘する意見を耳にしますが、それは100%正論とも言えないのが現実です。
なぜなら、傍観者にも色んなタイプがあるからです。

 

「面白がって見ているだけ」という生徒もいれば、
「本当は止めさせたいけど、怖くてできない」という生徒もいて、
「またやってるよ〜。俺には関係ないけど」
…と、全く他人事のように考える生徒もいます。

 

これらを一緒くたにして「傍観者=加害者」という見方をするのは少々乱暴でしょう。
特に、「本当は仲裁したい」と思って迷っているタイプの傍観者にしてみれば、
良心の呵責があったにも関わらず、加害者と同じ扱いで教師に非難されれば
「自分は違うのに」と不満を募らせることになります。

 

教師側は、「傍観者」のタイプに応じた指導をするべきです。

加害者を正当化しているタイプ

自分が直接手を下しているわけではないけれど、
「被害者にも非はある。いじめられても仕方がない」と思っているタイプ。
心理的には限りなく加害者寄りの傍観者、いわゆる“観衆”タイプです。

 

このようなタイプには、
「非があるからといっていじめても良いということにはならない」
ということを言って聞かせましょう。
注意すべきは、この時、
「確かに被害者にも非はある」などと不用意な発言をしないことです。
教師が被害者の非を認めてしまえば、それは彼らにとって格好の餌になります。

 

「○○先生も、アイツも悪いって言ってたし。いじめられても仕方ないんじゃない?」
…という、加害者側に都合の良い論理で自己正当化することになり兼ねません。

 

「○○(被害者)の問題は、あなたが指導するようなことじゃない。
そういう理由があったとしても、だからといっていじめが許されるわけではない」

 

…と、被害者の問題といじめの問題は別物であることを諭しましょう。

仲裁したいけどできないタイプ

本当は、加害者がやっていることが悪いことだと認識しつつも、
「告げ口をすれば自分がターゲットにされるんじゃないか」
「自分が言ってもどうにもならないんじゃないか」
…と臆病になって、結局、見て見ぬフリになっている傍観者です。

 

このようなタイプは、いじめ解決の重要な鍵になってくれる貴重な存在です。
その良心の芽を大切にして指導しましょう。

 

まず、「確かに、自分から声を上げるのは不安だし、勇気が要るよね」
…と、思い切ってその葛藤を告白してくれたことをねぎらい、
行動を起こせずにいることに対して共感を示しましょう。その上で、

 

「あなたから聞いたなんて誰にも言わないから、
何か気になることがあったら、こっそり教えてね」

 

…と、身の安全を保証しつつ、これからの行動について助言します。

 

関心がないタイプ

いじめ行為自体が他人事で、自分には全く関係ないと思っているタイプ。
「いじめるやつもやられるやつも馬鹿だ」
…と斜に構えているようなところも見受けられます。

 

このようなタイプは、面談をもちかけられた時点で
「なんで?俺、関係ないし」…と不快感をあらわにすることもあるでしょう。

 

しかし、
「いじめは、無関心な傍観者がいることで、かえってエスカレートするものだ」
ということを根気強く指導しましょう。

 

自分のクラス内で起こっていることに対して、
徹底的に無関心・傍観者を決め込むというのは、
これもまた共感性や社会性が欠如していることの表れ。
社会に出て仕事をしたり家庭を持ったりする上でもなにかとトラブる元になるでしょう。

 

チームで一つのプロジェクトを任される場合、
「一人だけ個人プレー」というわがままは許されませんよね。

 

周りの出来事に目を配ること、自分のこととして痛みや罪悪感を“感じる”こと、
これを指導するのもまた、いじめ予防教育の一つとして忘れてはいけないことです。

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