いじめゼロを目指して

加害者側の構造

いじめをなくすためには、いじめというものがどのような構造で起こっているのか、
そのメカニズムを理解する必要があるでしょう。

 

まずは、いじめを行う加害者側から見ていきましょう。
kouzou

 

加害者側の構造として特徴的なのは、
それが「集団」の中で起こりやすいということです。
まず、いじめ行為を指揮するリーダー格の人間がいます。
その下に、実際にいじめを行う者がおり、
誰が本当のリーダーなのかが非常に見えにくいという構造になっているようです。

 

また、その周りには、いじめを面白がって見ている「観衆」が。
さらにその周りに、見て見ぬふりを決め込む「傍観者」がいる。

 

…加害者側は、ざっとこのような構造になっています。

 

ただ、最近のいじめで特徴的なのは、
この加害者集団の中に被害者が作り出されるケースが多いということ。
すなわち、「今日の味方は明日の敵」といった状態で立場が固定しておらず、
いじめの被害者が一定期間内でローテーションすることがあるということです。

被害者側の構造

加害者側のグループ集団は、非常に流動的な構造になっています。
ゆえに、昨日までは加害者だった人間が、今日は被害者にされている…
いじめの世界では、そんなことはよくあることです。

 

いじめの全体像がそのような流動的な構造で形成されているため、
被害者でありながら周囲からは加害者のように思われてしまうこともあります。
それが、一層、本人を苦しめているケースも多いようです。

 

また、「親や教師に話せばいじめがさらにエスカレートするのではないか」、
「少し我慢すれば、次は他の人がターゲットになるのではないか」
…そんな気持ちから、あえて周りに相談できない被害者もいます。

 

さらに、思春期のデリケートな時期と重なっているために、
自分がいじめの被害者であることを認めること=プライドが傷つくと考え、
あえて親や教師には言わずに一人で耐えるケースも少なくありません。

 

裏返せば、大人たちに対する信頼感が非常に弱いとも言えるでしょう。
「言ってもどうにもならない」
という哀しい諦めがそこには秘められているのです。

 

学校側の体質

では、いじめが発生する舞台となる学校側、
いじめの防止を教育すべき立場にある教育者側は
どのような構造になっているのでしょう。

 

まず、一つ明確なことは、
学校はいじめ対策を集中して行う組織ではないということです。
いじめの問題が明るみに出た学校の記者会見の、
あのすっきりしない対応の様子を見ていれば、みなさんもなんとなく察しがつくでしょう。

 

学校という場所は、あくまでも学力指導や受験指導に力点を置いている場所。
いじめを中心とする“心理的”な問題の解決は、どうしても後手に回りやすいのです。

 

どこの学校でも人手が余っているというところはないでしょうから、
いじめ対策に十分なエネルギーを注ぐ余裕がないことは
ある意味では仕方がないことのようにも思えます。

 

ただ、学校側の構造としてマズイのは、
教師のまとまりに欠け、必要な情報共有ができていない場合があるということです。

 

一人の先生がどんなに熱心になっていじめ防止指導を行ったとしても、
他の先生の認識が甘ければ、子供たちは必ずその“隙”をついてきます。
教師側が、子供を舐めてかかっているとしか思えないようなケースも少なくありませんので、
学校側はそのような構造を見直して指導の連携を向上させるべきではないでしょうか。

関連ページ