いじめゼロを目指して

「遊びの延長だと思っていた」

次々と衝撃的な事実が明らかとなる、大津中2男子生徒自殺事件。
事件の後、全生徒863人へのアンケートを実施したところ、
その4割にあたる330人が、いじめの事実を知っていたと回答。

 

「教室の隅で背中やおなかを殴られて泣いていた」
「ハチの死骸を食べさせられそうになっていた」
「自殺の練習をさせられていた」

 

…などと、誰が見ても明らかに“いじめ”と分かる行為が
日常的に繰り返されていたことを証言しています。

 

しかも、男子生徒が自殺する直前の昨年10月、
担任の教師は一人の男子生徒から
「あれ、いじめじゃないですか」
と報告を受けていたことも明らかとなっています。

 

しかしこの担任、
「遊びの延長で、いじめだと認識していなかった」
と、説明しているのだとか…。
「いじめじゃないですか」と報告した男子生徒にしてみれば、
被害者に対して繰り返されるいじめ行為を
見るに見かねて担任に相談したのでしょう。

 

それが、「遊びの延長だと思って」まともに相手にしなかったというのでは、
教育者としてあまりにお粗末ではないでしょうか。

 

この担任教師は、自殺した被害者のみならず、
いじめの事実を報告したこの男子生徒の信頼をも裏切ったわけです。

「遊びの延長」に見えてしまうのはなぜ?

実は、周囲が「遊びの延長」だと思って見過ごしていた関係が
実際には過酷ないじめだったという例は、
大津の事件に限ったことではないのです。

 

大阪府寝屋川市の市立中学校で起こったいじめ事件でも、
周囲は「いじめだとは思わかなかった」と証言しているのだとか。
しかし、被害者である中学3年生の男子生徒は
髪を燃やされたり鼻の骨を折られたり、窃盗も強要されたり…と、
とても「遊び」では片づけられないレベルのいじめを受けていたといいます。

 

これだけのレベルのいじめを受けていたにも関わらず、
それが「遊び」の延長に見えてしまうのは一体なぜなのでしょうか?

 

謎を解くカギとなるのは、別の同級生たちの
「被害者も笑っていた」
という証言です。

 

…といっても、別に被害者は本当に楽しくて笑っていたわけではないでしょう。
そこには、辛くても笑ってその場をやり過ごすしかなかった被害者の
痛々しいまでの心の葛藤が見え隠れします。

いじめ被害者が選んだ戦略

今はどちらかといえば毒舌キャラで通っている筆者ですが、
20代半ばまでは、いわゆる「イジられキャラ」でした。
中学・高校時代にいたっては、
何を言われても・何をされてもただヘラヘラ笑ってごまかすのがうまいだけの、
一見、“お調子モノ”キャラだったのです。

 

しかし、そうやって笑っていたのは、それがラクだったからです。
嫌なこと、腹の立つことを言われても、そこでムキになれば
その場の雰囲気が不穏になりますし、なにより、面倒くさい(笑)。
笑って我慢していれば、少なくともその場は穏やかに収まるわけです。

 

いじめっこからも、目をつけられない。
ヘラヘラして機嫌さえ窺っていれば、危害を加えられることはない…。

 

おそらく、いじめ被害者が笑っていたのは、
彼なりの戦略だったのではないでしょうか。
いじめを乗り越えるための、そして、その集団の中で生きていくための。

 

周りからは「いじめられているようには見えなかった」かもしれませんが、
本人は必死にカモフラージュしていたのではないでしょうか。
おそらく、加害者と距離を置くこともできないくらいの状況になっていたために、
「遊びの延長でふざけ合っている仲の良い集団」に見えてしまったのでしょう。

 

このように、表面だけを見ていると真実が見えづらいという点が、
いじめ問題の最も難しいところなのです。 

 

傍目から見てどんなに仲が良さそうに見えても、
実は「支配・被支配」の関係にあるケースは非常に多いと思います。
実際、筆者も、中学時代に
そういった関係から抜け出せずに苦しんだ時期があります。

 

教師やスクールカウンセラーには、
表には見えないこうしたSOSに気付くセンスも必要なのかもしれません。

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