いじめゼロを目指して

異例の強制捜査に踏み切った背景とは?

大津の中学男子生徒の自殺事件を受けて、滋賀県警察本部が
異例とも言える学校への強制捜査に踏み切ったというニュースは
みなさんも記憶に新しいですよね。

 

教育現場に警察が介入するということには異論もあるようですが、
そこまでやらなければ、学校側や教育委員会の
“隠ぺい体質”は改善されないでしょう。

 

何か事件が起こる度にみなさんも感じていることと思いますが、
結局、組織は「自己保身」に走るものなんですよね(苦笑)

 

しかし、大津の事件を見ていると、
「どうしてここまで隠ぺいする必要があるんだろう」
「そこまでして自己保身に走るのはなぜ?」
…という疑問も湧いてきます。

「いじめ認知件数」の調査から見えてくること

文部科学省が発表する、年度ごとの「いじめ認知件数」を見ていると、
その謎はますます深まります。

 

みなさん、この「いじめ認知件数」の年度推移のグラフを
じっくりとご覧になったことがあるでしょうか?
すぐに気付くと思いますが、極端に件数が増えている年がありますよね。
そして、翌年には激減し、
再びどこかのタイミングで激増する…。
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こんなことって自然に起こり得ることなのでしょうか?
いじめって、季節変動でもあるんですか?コンスタントに起こるものなのでは?

 

…そんな疑問を抱く方も多いことでしょう。

 

年度によっては、統計上、
「2校に1校は年間を通じていじめ発生はゼロであった」
と報告しているような状況です。

 

実はこの調査、ハッキリ言って当てにならないもの。
なにしろ、この激増している年は、
何か大きないじめ事件が起こってマスコミ報道が活発化した年なんですから(笑)。

 

例えば、平成5年。山形県新庄市で、いじめを受けた男子生徒が
体操用のマットに押し込まれて死亡した事件がありました。
この時、教育行政は世間から激しい批判を受け、
「文科省のいじめ調査はザルではないか」
と批判されています。

 

これを受け、教育行政は調査方法を大きく変更。
その結果、翌年のいじめ認知件数は2.5倍に膨れ上がっているのです。

 

同じような現象は、平成17年に大阪府富田林市立第一中学校で
いじめ自殺事件が起こった時にも生じています。

 

つまり、文科省の統計数値はいじめの実態とは著しく解離しているということ。
学校側が隠ぺいしようと思えばいくらでも隠ぺいできる。
日本の教育行政にはそういう体質があるということを物語っているわけです。

校長先生の本音

では、なぜ、学校側はいじめの事実を隠ぺいしたがるのでしょうか。
これについては、2006年11月15日の毎日新聞に
大変興味深い記事が掲載されていたようです。

 

東京都内の公立中学校長が本音を語ったところによると、
多数の都道府県に広がりつつある「成果主義」に近い人事考課制度
いじめ隠ぺい体質の一因になっているのだとか。

 

学校でいじめが発生する

人事評価で×がつく

これを避けるために事実を隠ぺいする

 

…このような「事なかれ主義」が、隠ぺい体質を助長しているというのです。
(いじめや不登校の件数が多いと、校長の「学校経営能力」に×がつくらしいです)

 

また、
「正直に報告したところで、問題の解決には役立たない」
「いじめを報告すれば、膨大な調査を課せられる」
…と考えている校長も多いのだといいます。

 

昇進のために隠ぺいしているケースもあれば、
問題事に関わりたくないと言う理由で傍観の態度を取っている学校も。

 

「学校は社会の縮図」のようなものですから、
言いかえれば日本の社会全体にそういう体質がはびこっているのでしょうね。

 

筆者の個人的な意見としては
「いじめは基本的にないもの」
「いじめをするような生徒はうちの学校にはいない」
という“性善説”的な考え方にとらわれ過ぎているのが問題のような気がします。

 

そもそも、人なんて、だれでもいじめ加害者になる要素を持っているものです。
ですから、いじめが「ない」こと、起こっていないことを評価するのではなく、
どうやって解決したかを評価するようなシステムにすれば、
学校の隠ぺい体質も改善されるのではないでしょうか?

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