いじめゼロを目指して

“悪ふざけ”との線引きは?

“いじめ”という言葉には、どこかどす黒い悪意が込められているように感じませんか?
相手の傷つく表情が見たい、相手よりも優位に立って見降ろしたい、
相手を苦しめてやりたい…。

 

わざわざ自分の貴重な時間を割いて、しかも、
バレたら罰せられるかもしれないというリスクを冒してまで執拗に他人をいたぶるのは、
そこに何かしら、相手に対するゆがんだ感情があるからこそなのでしょう。

 

しかし、単なる“悪ふざけ”なのか“いじめ”なのか、
見分けにくいケースもあります。

そのため、周りで見ている子供たちも、
先生に報告すべきかどうかを迷ってしまうという場合も多いのです。

 

“いじめ”と“悪ふざけ”の線引きに明確な定義はありませんが、
例えば次のような観点を基準にすれば見極め易いのではないでしょうか。

 

いずれも、「YES」なら、それは悪ふざけの線を超えています。

 

★「反復性」:相手が嫌がることを反復して行っている
★「同一集団内」:その行為が、いつも、特定の同一集団内で起こっている
★「立場が対等ではない」:行為者に明らかな優位性がある
★「故意である」:嫌がっていることを分かった上で行っている
★「傍観者がいる」:1対1ではなく、周りに傍観者がいる

 

…個人的な意見としては、“悪ふざけ”には、
多少なりとも相手に対する愛情が込められているように感じます。

 

相手に関わりたい、でも、それをどう表現して良いかわからない…
だからこそ、一見、ちょっといじわるな行動に出てしまうのではないでしょうか。

“いじめ”はどう定義されているか

いじめと悪ふざけの境界線について、
どちらかといえば行為者側の気持ちに焦点を置いて分析しましたが、
いじめの定義となるとちょっと話は変わってきます。

 

文部科学省の定義によれば、いじめとは、

 

「一定の人間関係のあるものから、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、
精神的な苦痛を感じているもの」

 

つまり、行為者ではなく、
行為を受ける側の気持ちや捉え方が大切だということです。

 

文科省の定義に従って考えれば、
たとえ行為者が悪ふざけのつもりでやっていたことでも、
その行為を受けた人が「精神的にショックを受けた」と言えば、
それは立派ないじめということになるわけです。

 

言うまでもありませんが、人の心は目には見えません。
子供自身が自覚していなくても、
知らず知らずのうちにいじめ加害者になっている可能性もあるということ。

 

親や教育者の立場としては、いじめ問題が深刻化している今こそ、
「人の気持ちを想像すること」「相手の立場に立って考えること」の大切さを
毅然とした態度で教えるべき時代といえるのではないでしょうか。

 

いじめ行為をざっくりと分類すると…

文科省が提示している“いじめ”の定義を見ても、実際のところ、
「どういう行為がいじめなのか具体的なイメージがつかめない」
という方も多いのではないでしょうか。

 

いじめに関しては、古今東西で様々な研究や調査が行われており、
一般的には、例えば次のような行為が“いじめ”であると考えられています。

 

◆物理的な被害を与える行為
例:金品を取り上げる、暴力をふるう、衣服を脱がす…等

 

◆心理的な被害を与える行為
 例:悪口、無視などの仲間外れ行為

 

 

つまり、経済的・身体的な“目に見えやすい”被害を与えるか、
または、心という“目に見えないもの”を徹底的に傷つけるのか。
上記2つが混じり合ったパターンのいじめもありますし、
一概に、「こういう行為がいじめの典型例です」と定義するのは難しいです。

 

しかし、いずれにしても、いじめ行為の根底にあるのは
「人が困ったり悲しんだりしている様子を見て楽しんでいる」という歪んだ心理。
この心の在り方こそが、いじめ行為の定義と言っても過言ではないと思います。

 

 

参考:
森田洋司・清水賢二 『新訂版 いじめ 教室の病』 金子書房 1994
菅野純・桂川泰典 『いじめ 予防と対応Q&A』 明治図書 2012

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